昭和45年3月22日  特別奉修委員
                                    末永静行


 いろいろ、神様のお知らせと思われるお夢を頂いたんですけども、②●、こんなお夢でした、汽車に乗ってるようでしたが、汽車のちょう食堂者のようなところでした。ここへ二人、ここへ二人、ここに私があの乗ってる、私が頂いておるのがもうそれはなんとも言えんほどおいしいものなんですよね、それで、私がこちらへまあ若夫婦と思われるような人達が二人、あの主人の方へ、とにかくにこれを食べてごらんなさい、とにかくこんなにおいしいもんだと。
 それで、あの、私が無理に自分の食べよるとを食べさせようとするどんぶりでこう、そしたらその若い人がそれをまあ頂いて、まあ、おりますけれども、もう無非常に頂いてたら、どんなでしたかと私が言うたら、大変結構な味でしたと、もう、それこそ感動も何もない顔でただそういうようなお知らせでした。
 それから、今度はこちらの前の方の人を見ると、これは、まあ、様相のまあ、いうならば、50がらみの、まあ、実にスマートな洋服をつけた婦人とその子供さんがかけてるんですね、それで、あの、まあ、洋風な食べ物を食べて、サンドイッチお弁当をもってきておられる訳です。サンドイッチのような。やはり、その人達がやっぱりあの汽車で、あーして旅行されるからサンドイッチを作っておい出られただろうと私は、まあ、聞いたところが、私の方にはね、それこそ、あの東京便でね、あの、だます言葉ですよね、あの、私の方ではもう一日中が洋食ばかりだと言われる訳なんです、ほぉーこれはお弁当だけがサンドイッチじゃなくて、ならお家でも洋風なものばかりを召し上がってるんですかと私がいうておるところでしたんです。
 それから、今度はまた場面が変わって、ちょうど汽車のホームはちょっと高いでしょう、ホームのような所へあがっておるところへ大きなここにあの、天地巌ですね、大きな岩がありましょう、あの頭にも似たような、その、いわば、埋め立ててあるんです、そして頭だけちょこっと出とる訳ですね、それが私がその下にいけてあるから分からんけれども、ははぁー、元はここは道があって、ここに猿田彦大臣がお祭りしてあったなぁと私が思うておる所でした、猿田彦大臣も、こう、いうなら、いけてしまって、頭のところだけちょこっと出てるという感じなんです。もうその中から、まあ、いろいろと、まあ、おしえやり考えさせて頂いたんですけれども。
 私は、もう、それこそ、和賀心時代に突入したんだと、そこんところを夕べ若先生が御祈念させて頂いて、和賀心時代に突入という事についてですね、その突入したという事はね、和賀心時代という事に突入したということはちょうど終戦、そして、新しいその日本の生き方があのようにね、例えば今までの重視が、あーっと、いわば、小作のそれが、まあ、いうなら平等になってしまったようなね、大きな変わり方をしなければ突入したというふうにならないんだと、いう意味のことを話したと、(   ?   )熊谷さんが聞かせて頂いたんですけれど、確かにね、そういう変わり方をしなければならないのですよ、ね、ですから、なら突入した私共、合楽の人達はそういう、例えば、なら署名捺印したというだけじゃいかん、そういう、例えば本当に変わり方が果たしてでけておるかと言う事なんですよね。
 だから、そこんところを考えなければならん、まあ、そういう意味において、和賀心を、和賀心をとこう追求していくこのことが素晴らしいということにまあなる訳ですがね、もう本当にこれが和賀心というものが普遍的なものであるということをです、もう世界中の人間人類にね、そこんところをいっぺん分からせるということですね、出来る出来んは別として、そういう観念を植え付ける。
 例えば、この頃、なんですかね、ローマ法ですかね、あの人がその愛の心を普遍的なものにというような言葉を使ってたでしょう、というように愛の言葉に普遍的なものじゃないんですよ、実をいうと。なぜっておかげが伴わないから愛の心は、だから、本当に普遍的なものに出来る内容をもったのは和賀心なのです、ですから、そういう、例えば私共がまず自分の足元から自分の家庭から、自分の周囲からその事を推し進めて行こうと言うためにはやはり自分達が、それこそ、(    ?   )一緒になってしまったといったような変わり方がね、まあ、教団の上にでも必要だという事です。
 ところがですね、教団の生き方、在り方というのは私は汽車の中であった、その婦人と子供さんのお弁当じゃないけれどもですね、もう何とはなしにスキッとして、いわゆる、お上品なってしまったんですね。それで、それこそ、もう、(    ?   )いうなことをですね、ですばい。そして、なるほど、見てみるとですね、自然じゃないんですよ、実にその着ておられる洋服もスカッとした、その、スマートだしですね、食べておられるものも、なら、洋風なものであるけれども、本当に日本古来というか、本当をいうたら金光教独自のものといったようなものですね、打ち出されずに、何とはなしにキリスト教な感じがね、それが返って身についていきよるという、ね、でそれを言わなければ、しなければ、まあ、金光教の信心がもう元に戻ったような見方考え方をしておる。
 そこで、なら、私が和賀心とはこんなにおいしいもんだというて、なら若いこちらの人に食べさせたけどね、さぁー私が無理言うから聞きもするけれども、はぁーそうですなぁというなぐらいな事でですね、本当にそうです、親先生があなたがいいな、親先生ちゃいわんですね、例えば大坪先生、あなたが言われる通りですというて飛びついて来る者はおらんってまだ、そんなにまだその和賀心時代という事はまだ、まだ大変なその遠い、いわゆる、遠い、遠い、ものだという事なんです。無感動です、私が進めて食べさせても。
 そこでですね、あなたが食べよんなさるとはおいしかろうごたるですね、私も食べさせて下さいというた時に素晴らしいということになるのだと、そこで、みなさんがそうでしょうが、皆さんが頂いておられる信心っちゃ素晴らしかろう、どうも私をいっぺん連れて参ってくださいという事にならなければですね、本当の和賀心は話されないし伝えられないという事、しかも、なら、現在の教団ではですね、まあ、いうならば、猿田彦大臣を埋めてしまって、それで高められたような気がしておるといったような感じなんです。これは金光教に限らない、宗教全般にいうても同じ事ですよ、ね、それが高められたように、本当の例えばですね、事はね、猿田彦大臣というのは、あれは、道案内の神様と言われております、だから本当の道を開いてくれるのは猿田彦大臣なんです、ね、それはどういう、ならお道でいう例えば道を開いてくれるものは何かというとですね、もう、勿論和賀心は勿論です、ね、和賀心が道を開いてくれるけども、そのもっと前提になるものはです、私共がもっておる感じておる難儀なんです、実はその難儀そのものが猿田彦大臣なんです、猿田彦大臣こそが、いわゆる、その、いうならばその難儀こそはですね、私共に本当な道を教える、私共に、大坪総一郎に、例えば本当にまたとこんな難儀はなかろうと思う難儀を通らせて下さったおかげで、なら、今日の道が開けてきとるようなもんです、ね、いわゆる、難儀様のおかげで道が開けた、ということをですね、ということをせずにいわずにです、ね、ただ頭で分からせてもらう、例えばいうような言葉だけでいうだけの見易い例えばこの頃のローマ法のメッセージじゃないけれどもね、あの、ただ、そういうことで道を開こうとしておる訳です、ね、言葉巧みというか、美しくというか、それでは絶対道は開けない、道はやはり難儀が開くものだ、その難儀に道の、いわば、道付けをして頂いて、おかげを頂いていく、勿論そこんところが高められていく所に和賀心あり、その和賀心がすべての道を、いわば、真の道を開いていくことはまた事実ですけどね。
 私は、今朝からそういうようなお知らせを頂いたんです、だから、皆さんが、なら和賀心学といったようなものをね、合楽でこういいよりますというてもしよその信者に言うてもです、さぁー、例えば付き合いで、あーそうですかちいうてから聞くだけ聞くかもしれませんけれどもですね、決して感動にまではなってこないという、ね、同時に方一歩のほうで食べておられる、例えばそれを本当の事、それが、もう、いわば、宗教もね、宗教と文化といったような事を言われるがですね、その文化的な高められた宗教というものがキリスト教的なもののような見方をしておる、大間違いだと私は思うんです、ね、ちった品な悪かたっちゃ、それこそ、握りままでご飯が食べられるという、たくあんで食べられるという、やはり、日本独特というかね、日本独特というよりも、金光教独特の線にね、出ての私はままになるというおかげでなかなければね、いよいよいかん、いわゆる、おかげが伴わないという感じがするんです。
 今朝からの私のお夢を、まあ、そういういふうに私は頂いて、そういう私はお知らせだと思ってるんですけれども、お互いどうでも一つ猿田彦大臣を埋めるような事のない、それで、高められたような思いでおるような、いかにも上品のようであってもですね、それでは決しておかげを頂かれんのです。そして、そこがどうもそのホームのようなんですよね、あの、ちょうど汽車のホームのように、所が出入りがないです、ね、そこに立ってから、いかに、なら私の汽車を待ったところで、出入りもないところに汽車がやってくるもんですかね、それで一時も高められたように、いわゆる、自己満足をしておる、いうなら、動かない、いわば、箱に乗って、それがもう汽車に乗った気持ちでおる、ね、もう本当に浅はかな事ですけれど、その、浅はかなことが分からずに、ただちゅうてんぶらりなところにだけ手を伸ばしておるといったような感じがする現在の宗教です、これは金光教とに限らないです、ね。
 ですから、もう本当に大変な、いわば、事を合楽では、いうならば、そういう運動を起こしておる訳でございますから、ね、それには皆さんが、例えば、いわゆる、敗戦そして今日の日本、日本といったような変わり方をしたぐらいにですね、和賀心時代に突入するという事はそのぐらいな変わり方がはっきり見えるぐらいになからなければいけないという事ですね。
                                  どうぞ。


末永静行
2007年3月4日